『憶』展 自作品紹介1『祖父』

昨年12月からオンライン展示を友人たちと開催しました。
こちらのサイトでも、スタート時にお知らせしましたが、予定通り今年の2月19日に無事終了ができました。

このかん、体調を崩しておりまして、お礼を申し上げるのが大変遅くなってしまいましたが、ご高覧くださった皆さん、またさらにアンケートやSNSであたたかいお言葉をくださった皆さん、本当にありがとうございました。

さて、これもまた遅ればせながらですが、展示した自分の作品について、改めてご紹介させていただこうと思うのです。

それでは、さっそく、1作目から…

 

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作品1『祖父』

作品1:祖父

先日、祖父が亡くなりました。

危篤の連絡をうけ、私たち家族は病院へ。

コロナが一時的に収まりを見せていた時だったので、祖父の病室に入ることを許されました。

ベッドの上の祖父は、薬で眠っていますが、全身で呼吸をしている姿がとても辛そうです。

お医者さんも看護師さんも、打つ手は全部うってくれて、我々家族も見ているだけです。

目の前の祖父は、静かな病室で、今、まさに「独り」、死に向かって、生命をかけて、たたかっているのでした。

そのたたかいは凄まじいものでした。

人工呼吸器を最大出力で動かしているにも関わらず、酸素飽和度は常時の半分程度です。

90%程度でも大変な息苦しさだと聞きますから、今の状態はどれほどのものでしょう。

さらに、その数値もじわりじわりと下がっていきます。

しかし、一方で、血圧は一定を保ち続けているんです。限界を迎えている肺が、心臓に最後の一打ちをさせまいと、必死に動き続けているのです。

この熾烈な状態から、はやく解放してあげたくて、我々家族は「おじいちゃん、もう頑張らなくていいよ」と言います。

でも、それは祖父の、生命のたたかいを妨げることでもある気がして、心の中では「おじいちゃん、がんばって!」とも言っています。

もっとも、「がんばる」という表現は、生きている側、これからも生き続ける側の感覚であるわけで、今の祖父はもっと違う次元にいるのかもしれません。

そして。真夜中過ぎ、祖父は静かに最期を迎えました。

寡黙で口数は少ないけれど、人の悪口は言わず、数年間、家と自治会の建物の周りを掃除し続けた真面目で誠実な人でした(ちなみに、自治会の人たちが有志で「感謝状」をくれたりしました)。メガネの奥の、くりっとした目が可愛くて、立派なワシ鼻が素敵でした。

持病を患っていたためにコロナ禍が始まってからはずーっと自粛生活でした。もともとアクティブなスポーツマンでしたから、最後の日々はとても気の毒でした。

そんな祖父は最期に、とても尊いものを見せてくれました。

あぁ、命とは、なんと厳かで、尊く、崇高なものなのでしょう。

おじいちゃん、おつかれさま。ゆっくり休んでね。

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